私事ですが...

約1年ぶりのブログですよ。
この1年の間に、実は結婚して、子どもができて、なんやかんや忙しくて更新できなかったんですよ。

って誰も信じてないやん?ウソやと思うやん?

 

けど思い返してみて。
学生時代はあんなに更新してたのに、今やすっかりFacebookを更新しなくなった皆さん。

それなのになぜか結婚報告や子どもできましたという更新はしっかりする皆さん。

久々の更新やと思ったら、婚姻届けを夫婦2人で持っているキラッキラした写真、あれなんなん。
定型写真すぎて「またかよ…」って思う反面、

全然仲良くなくても「幸せな家庭を築いてね(定型文)」って思ってまう、どれも素敵写真やん。

 

普段は更新せんFacebookに更新するってことは、mixiもその時ばかりは更新してんの?
日記「マイミクの皆さんへご報告★」。

絶対足跡つけへんからな(足跡削除は月10回まで出来たはず)。

 

ほんでちゃんとデコログも更新してるんやろうな?
「〇〇famは本当のファミリーになりました(動く凸絵文字ホワホワ)」

 

あかん、全世代の方に向けて書きたいのに、同年代しか分からん内容や、反省(土下座する凸うさぎホワホワ)。

 

 

もとい!!!
学生時代は異性の匂いが全くなかった友達でも、結婚してる今日この頃。
「え??あの娘が結婚??」

「アイツがパパ??」
Facebookの投稿を見て、そう思ったことは誰しもあるのでは??

私は正直何度もあります(笑)

 

若干のディスが続いているように感じるかもしれませんが、

「みんなそれぞれ自分の将来を見据えて、立派に生活しているんだなぁ」と結婚報告の記事を見るたびに本当に感動しています。
だからこれから結婚報告投稿予定のある方、限定公開にせんといて。

待って、マイミク整理せんといて。

 

 

とまぁ、1年ぶりに書いているので、散文的極まりないですが、私も妻子も元気でやっております。
え?妻子??ウソやと思うやん???うん、ウソ。


そんなこんなで相変わらずな私ですが、書きたい気持ちがまた沸々と湧き上がってきた気がするので、こうしてまたパソコンに向き合っています。

 

では最後に。
「私事ですが、この度、ブログを再開することとなりました。幸せな記事を書けるようにより一層精進してまいりますので、どうか引き続きよろしくお願いいたします。」
あぁ、友達減ってく(現在Facebook友人数267人と、、、メモメモ、、、)。

 

パスタと言わずスパゲッティと言う女は好感度高いよ(自社調べ)

突然ですが、下半身にお召しになるものの総称をあなたは何と呼びますか??
私はズボンと呼びます。

あ、ここでなんらかのフェミニズムに傾倒する方は

「ではスカートはどうなるんでざますか!?!?!スカートは下半身ではなくて??」
とご指摘したくなるかもしれませんが、私はスカートを履かないのでそこはご理解頂けたらなぁと。

他に呼ぶとすればパンツ、ボトムスなどがあげられるのでしょうか。
ここでまたパンツのことを書くとなんらかのフェ(以下略)。

 

いや、ボトムスて。
もし洋服屋さん行ったとしてよ
「お客さんの今着ていらっしゃるトップスにはこんなボトムスがお似合いですよ~~~」
なんて店員さんのいうボトムス持ってこられたら、
お客様は神様を忠実に全うし、

「神は全ての罪をお許しになります」精神の神様仏様平嶋様も即刻天罰下す。アーメン。

いや、ボトムスて。ズボンでえぇやん。なんならトップスもちょっと腹立つ。
ワシがアメリカにかぶれてたとき、驚いた際「ウップス!!!!」言うてたとき並に腹立つ。
いや、ウップスて。そんなアメリカかぶれの私を、神よ、どうか許したもう!!!南無阿弥陀仏

 

あとパンツの場合はイラっとはこんのやけど、パンツ??きゃっ下着??と顔を赤らめるウブな私。
「お客様の今日のパンツは派手なんで~~~~~~」
なんて言われた日には
「この人、なんでワシのパンツ情報知ってるん?もしや誘ってる??」と顔を赤めるウブな私。
そんな私の今日のパンツはあ・お・い・ろ(赤面)。
いや、パンツて。パンティでええやん。ピーチジョン(素面)。

 

あとはなぁ、リュックのことをバッグパック言うんも、なんや腑に落ちん。
「バッグパック探してるねん~~~」
なんて言われたら、
「え??急にどうしたん??え?どこ行くん??インドで悟りでもひらくんのん???
Do you wanna be ヨガインストラクターー??(アメリカかぶれ)」
なんて思ってしまう始末です。

そのくらい“バッグパック”ってカバンの種類を表す以外にも、色んなことを想像させる要素が含まれてる気がするの。
だから簡単にバッグパック欲しいとか言わんといて。

 

あなたにも、イッラーーーーとする言葉があったらぜひ教えてね。
アディオス☆(イッラーーーーーー)。

ハロウィン上等!!!!!!

HAPPY HALLOWEEEEEN!!!!!!(チャラめ)
みなさん10月最終日いかがお過ごしでしょうか。
そして本日はみんな大好き(?)ハロウィン!!!

 

街を歩くとかわいいギャルちゃんが血を流していたり、かわいくないギャルちゃんも血を流していたりと、世の血液供給が追い付いていないのではないかと心配になります。
だからギャルちゃん、ハロウィンは仮装して献血にいこう!
合言葉はトリック オア ブラッド!!
いたずらか献血どっちがいい??~ギャルが世界を救う~
近日公開!!!!


冗談はさておき、ハロウィンの定着率凄まじいですな。
ここで質問。
ハロウィンの 楽しみ方が 分かりません~ようき心の一句~

 

仮装して、遊園地やクラブに行って写真撮って、SNSに上げてってのが醍醐味なんやろうし、私もしたことあります。あーーい。
感想:で????

 

もちろん友達とワイワイするのは楽しいですよ。けど身も蓋もないこと言います。
せーーーーーの!!!!!
で??????

 

ハロウィン?仮装?ハッ。っていうスタンス。
あなたたちは仮装して喜んでいるみたいですけど(苦笑)、私はちょっと遠慮しておく、だってもう26歳だし。ま、あなたたちのSNSを見ながらいいね!つけときますよ、羨ましく。っていうこのスタンス。
(↑このオマージュ分かる人いるのか?w)

  

スーパーマンに仮装して勇ましくポーズを決めてても、普段は取引先に頭下げてるサラリーマンなんだろうなぁとか、谷間強調したナースも血糊メイクの裏側には結婚したいけど相手が見つからず焦ってるピュア処女なのかなぁとか、そんなこと考えちゃうんです。
悪趣味~~~~(笑)

 

他のイベントに関してはそんな疑問に思わないんだけど、ハロウィンに関してはこの異様な盛り上がり方も含め、なんだか市井の人の闇を感じてしまうんですよね。


普段のストレス鬱憤を晴らすためや変身願望・承認欲求ってことは重々理解しています。
でもさぁ、そないカボチャに頼らなあかん??(笑)

世知辛い世の中です。
バカ騒ぎしたくもなるでしょう。ハメを外したくもなるでしょう。
それでも言わせて!!!!
カボチャに頼んな!!!!!!!!(笑)

 

よくリア充イベントと言われているハロウィンだけど、仮装に大枚はたいて「ハッピーーーハロウィーーーンwwwwww」だなんて言うのが本当にリアル充実なの??

 

そうだとしたら悲しすぎるぜ。
それなら私はリアル充実してなくていいです。


“トリック オア トリート”
そう言われたら、私は真顔でこう答えます。
「いたずらしていいよ??」

 

ハロウィンを心から楽しんでる人はそれでいいと思います。
では、ハッピーハロウィン☆☆☆

26歳になりました

本日10月27日、私は26歳になりました。

普段は「永遠の17歳キラキラヘラヘラ~」だなんて言っていますが、すんませんサバ読みまくり26歳です。

 

数字にすると恐ろしいですね、“26歳”

待って、ほんま怖い“26歳”

 

いくつになっても思うことなんですが、小さい頃描いていた大人は、もっと“大人”のはずでした。

 

服を購入する際は今でも派手or柄物or原色(もしくは派手and柄物and原色)が決め手という小学生と変わらぬファッションセンスand色彩感覚やし、どこ行っても「学生さんですか?」言われるし、もちろんその延長で年確されるし、もうほんまこんなんが26歳名乗ってすんません。

もし若く見られたい方、自分と共に行動すればその日は学生さんになれますんでよかったら是非どうぞ。非。

 

 

けどね、年齢ってただの数字に過ぎないなーとも思うのです。

これから言うことは自立もしてないクソガキの戯言と思ってね。

実家暮らしで親に甘えまくりやからこんなこと言えることは100も承知で、ほんま子供のまんまやけど

ワシめっちゃ幸せやで~~~

 

年相応ってすっごい大事なことやけど

〇〇歳やからこうしなあかん!!!!!とか

〇〇歳やからこうあるべき!!!!

とかしんどくない??(笑)

 

キャリアも安定もなにもないけど、26歳らしからぬ生き方考え方なんかもしれんけど

それでもワシほんま幸せやで~~~

 

もちろん将来のことで不安になったり、世間の目や同年代と自分との差に落ち込むこともあるけれど、それでもヘラヘラ生きてたらまぁいっか!!!大丈夫!!!って(笑)

 

記者A「平嶋さん、その若さの秘訣は??」

「(足を組み桃井かおり風に)んーー、そうね。いつでもヘラヘラしてることね。そしてSK-Ⅱ」

って感じ(笑)

 

そしてそして!!!私が幸せなのはほんっま皆様のおかげです。

こんなペラッペラに薄い私と関わってくれているみんなありがとう。

今でも変わらず友達でいてくれるクレイジーなみんなほんまありがとう!!!!!!!

くっさいし月並みな言葉でしか表されへんけど、みんながいてくれてほんまによかったで!!!!

私にとって、みんな(君)じゃなきゃダメなんです!!!

ありが10!!!!

 

みんなにも「平嶋じゃなきゃダメ!!」そう思ってもらえるような人でありたい。

これからもよろしく。

涙の大安売り

最近何しても何見ても泣いちゃいます。
ごめん、少し盛った。
けど数年前までは血も涙もないロボット平嶋と鉄の女サッチャーからも恐れられる異名を取っていました(ウソ)。


大学の卒業式後の謝恩会でみんなが抱き合い涙を流すなか、一人机に肘をついて冷めた目で周囲を見ている様子を写真に撮られたことを今でも強く覚えています(ホンマ)。

けどここ数年で涙がぽろぽろ出てくるようになりました。


とある一日。
友達のことを考えていました。彼は優しく、頭もよく、尊敬できる人間です。
しかしそんな優しい彼が仕事で報われない思いをしています
私は急に号泣しました。
「あーーーーーーーーなんで〇〇の頑張りを分かってくれる人がいないのーーーーーー」
「あーーーーーーーー世の中ってなんだよバカーーーーーーーーーーーーーー」
「〇〇を傷つけるやつはワシが許さんぜよーーーーーーーーーーーー」
しかし私はこうも知ってるいるのです。
勝手に泣いてんちゃうぞボケ!!!

そう、彼はそんなことでは傷つかない強い男なんです。
「けど悔しいよーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」

今もこれを書いたことで悔しさを思い出し、泣きそうです。

泣きそうという場合100%泣きません。偽善。

 

悔し泣きした私はどう思ったのか机の中の整理をしたくなります。謎遺伝子。
そこで見つけてしまいます。友達からもらった手紙。

そこには友達との思い出と優しさと自分の身勝手さが詰まっていました。
えぇ、分かりますね。私はむせび泣きました。
「あーーーーーーーーーーーーなんて素敵な友達だーーーーーーーーーーー」
「なのに自分はいつも自分のことしか考えてなかったーーーーーー」
「ごめんなさーーーーーーーーーーーーーーーーい」
「もっぅほんm▽☆※zj◆√っっ」
最後の方は嗚咽で呼吸困難でした。□h△●★♭っっ。

 

その後、心落ち着かせるために見た映画(ムーンライト)で心落ち着くどころか激しく心揺さぶられ泣き、その日の夜はライブだったので生の音楽の素晴らしさとそこでの人と交流の暖かさに泣きました。
涙枯れません。枯渇せぇ。

 

その他にも、「崖の上のポニョ」で「ポニョ、そうすけ、好き!!」と自分の気持ちをただ真っすぐ伝えるポニョの紛れもない素直さに、私の手の中にあったゴミ屑を当たり前のように持って行ってくれた見知らぬおばちゃんの優しさに、ヒゲ脱毛の痛さに、私は今日も泣きます。


なぜこんなにも泣くようになったかは分かりません。
ネットで「涙もろくなる理由」と検索をかけ、いくつかのサイトを見てみると
・経験が増え、共感することができるようになったから
・脳の前頭葉がどうたらこうたらで候~

ということが多く書かれていました。


脳の前頭葉の話は理解できないので候、Google先生の話を信じ仮にでも私が他者の気持ちを少しは共感できるようになったというのならこんなにも恥ずかしいことはない。

 

他者の優しさに、自分の愚かさに涙した数分後でさえ、自分の非を認めず言い訳をホザき、ヘラヘラと周囲の神経を逆撫でし平気で人を傷付け、ヒゲ脱毛後のツルスベを想像しうっとりする。
さっきの涙なんやったん??情緒不安定???

 

それならいっそ血も涙もない冷たい人間でいた方が潔い。

ほんで大人しくヒゲ面晒しとけドアホ。

おもろくなんかない

あんたおもろいな~。
ワシにとってそれってごっつ誉め言葉やんか??
ごっつとか普段そない使わんけど、おもろい言われたらものごっつ嬉しいやんか?
て、ワシのこと聞かれてもアンタ知らんやんか??

 

イケメンと言われるよりおもろいの方がよっぽど嬉しい(イケメンやけど)。
仕事できると言われるよりおもろいの方がよっぽど嬉しい(仕事できるって言われたことないけど)。
おもろい、誰かがそう言ってくれるだけで私は強く生きていけるのです。ちゃんちゃん。

と終わらせる訳にもいかへんやんか??

 

ありがたいことに、私のことを「おもろい」と最高の誉め言葉を言うてくれる方がいらっしゃいます。
一方、私のことをよく知る人には「ただの真面目」「あんなんやけど普通」と言われたりもします。


そうやねん!
ワシほんまに面白みのない人間やねん!!!
おもろいとか言わんといて!!!
ワシにおもろさ期待せんといて!!!
けどやっぱりおもろいって言って!!!(魂の叫び)


おもろいことを言われてもおもろい返しができない自分に落ち込み、おもろい話ができない自分によく落ち込んでます(笑)
だから頭の回転が早くておもろい人と一緒にいると嫉妬さえ覚えることも。
天然でおもろい人なんてもうズルい!!

 

私はテンションが少し高いだけ(しかも常に高い訳ではない)。
テンションの高さでおもろくないことを悟られないように誤魔化してるだけなの。
ほんまはモラルとか無視してぶっ飛んでいたいねん。
けど無理なのーーーー!!
だって超が4つ付くほど根は超超超超真面目なのーーーーーーーーー!!!!
超超超超いい感じ??中澤裕子??


おもろくなりたくて、おもろいこと言いたくてみんながよく使うノリツッコミ
「誰が〇〇やねん」とか、使ってみたことあるんやけどさ
自分が言うても全然おもんないし、無理してるのがすごく嫌になって
「あぁ自分はこういうの向いてない」って心から思った(笑)

 

結局それは自分のおもろさじゃないってことに気付いたんだよね。
おもろない自分が嫌で普通って言われることを恐れてたけど、自分を偽るくらいなら普通でいいやって。

そっからは無理することなく、自然体で人と付き合うようになったの。
そしたら不思議なことにそれでもおもろいって言ってくれる人がいて(笑)

自分としては全くおもろいつもりないのに、おもろいと言われると
「ワシおもろいんか!!!ほなもっとおもろくしたんでーーーー」
よせばいいのに調子に乗り、そう、そして自己嫌悪。
けどな、誰かが笑ってくれればそれが嘲笑でも苦笑でも嬉しい気持ちにもなるんやで。
あんたの笑顔は世界が羨む??保田圭??

 

今日もおもろくなりたいと強く願う、ようき♂やんか??

誰でもロンリー

「あなたは孤独ですか??」と問われ
「はい、孤独です」と答えれば少なからず心配されるであろう。
けれど誰しも日々の中で人知れず孤独を感じて過ごしているんじゃないのかな。

 

あなたが孤独を感じる時、寂しさを感じる時はどんな時なんだろう。
友達や恋人と別れる時。
一人でご飯を食べる時。
誰かに裏切られた時。
自分が社会の中で必要とされていないと感じる時。

 

きっと人それぞれに孤独を感じる時がある。
それは結婚をしている、大切な誰かがいる(恋人という意味以外でも)、どこかに属している、ということとは全く関係のないところで。

 

だから我々は孤独から逃れるために何かに縋り、愛を求める。
愛に満たされれば、一時孤独を忘れるが、ふとした時にまた孤独を感じ、打ちひしがれる。
その繰り返し。
我々は誰かに肯定してもらわなければ生きていけない、弱い存在なのである。

 

 

私は、8月に3度目の肺気胸になり、1週間ちょっと入院していた。
前回までの入院の際にはSNSで入院したことを発信した。
はっきり言うと私は家族以外の誰かにお見舞いにきてほしかったのだ。

 

けれど今回の場合3度目の入院で慣れていたから、入院期間中に会う予定にしていた人だけに軽く伝えただけだった。
お見舞いに来てくれなくても全く問題ないと思っていた。
しかし、ただただ安静にするだけの時間の中でどうしようもなく寂しくなってしまった。

 

私がいなくても世界は平気で回る。
あぁ自分って一体何なんだろうって柄にもなく一人ベッドの上で考えていた。

 

そんな折、今年4月にタイのゲストハウスで出会った世界を旅する友人から突然連絡がきた。
その友人とはゲストハウス主催の飲み会?で過ごしただけの仲だったけれど、強く印象に残ってる人だった。

「私は今エジプトにいて、来週からカナダに行くよ。洋貴くんは元気ですか?」
そういう簡単なメッセージだった。
けれど私はそのメッセージに救われた。

 

私のことを覚えてくれてる人がいる。
たった一夜過ごしただけなのに(こう書くと違う意味に?笑)、こうやって自分のことを思ってくれる人がいる。
自分は病院の狭いベッドの上にいるのに、その友人は片やエジプトにいる。
あぁ、忘れていたけど世界は繋がっているんだ。
そして私と誰かはこんな風に繋がっているんだと心の底から感動した。

 

更には入院しなければ遊ぶ予定だった友達がお見舞いに来てくれるというではないか。
涙が出るほど嬉しかった。
入院・手術なんて平気とLINEでは言っておきながら全然平気じゃなかった。
いや、入院と手術自体は本当に平気だった。
一人が寂しかった。
友達を待つ間、サンタを待つ子どものようにソワソワ、ワクワクしていた。
まさか病人とは思えない笑顔と大きな声だったらしい私と、まさかお見舞いに来たとは思えないほど笑っていた友人。
仮にも病院なのに、居酒屋にいるみたいに過ごした楽しい時間を私は一生忘れない。


日々の中で思いやりを忘れずにいれば(忘れがちなんだけどね)、自分だけではどうしもない時、悩んだ時、困った時、不思議と必ず救いの手が差し伸べられる。
それは誰かの何気ないような言葉だったり
映画のくだらないような1シーンだったり
何でもないような一文だったり
一見ゴミのようなものだったり。

それを救いととるか何も感じないかは自分の心次第。
あなたの小さな優しさも誰かの孤独を癒しているかもしれない。

 

そうやって私たちは孤独ながらに、皮肉にも孤独だからこそ誰かと繋がっていられるのではないか。

大人はみな寂しさを抱えている。大人は孤独でいいのだ。