わすれもの

今日掃除をしていたら、こんなものがでてきました。

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ちょうど6年前の今頃、私は母校の小学校で教育実習をしていました。
その実習が終わる際に子どもがくれた手紙です。

この手紙をもらった学生時代の私はこう思ったはず。
「私も君のことをぜったいにわすれないよ。」

けれど私はこの子の名前を見ても、すぐには顔を思い出せませんでした。
この手紙をもらった時は、このことを絶対に忘れないと心の底から思い、一生の宝物だと思っていたはずです。
あんなにも心動いたことなのに、平気で忘れる私。

けれどふと、こうも思いました。
「この子もきっと私のことを忘れている。」
たった1ヶ月だけいた私のことを覚えているはずはない、思い返すことなど絶対にない。
ただ、この子が現在どんな子に成長して、どんな生活をしているかは分からないけれど元気に毎日を過ごしていたらそれでいい。

不思議とそう思いました。
そして忘れることも悪くないなぁと感じたのです。

 

私たちは、何かの区切りの際にこういったことを言いがちです。
「卒業してもずっと友達だからね。」
「いつもいつも、カヤは兄さまを思っています。きっと、きっと、、、」
「私もだ。いつもカヤを思おう。」
「距離なんて問題ない。絶対に毎日電話するよ。」
「会いに行くよ、ヤックルに乗って」

けれどいざ日常が始まると、あんなにも強く思ったはずなのに、その時の気持ちに1ミリもウソはなかったはずなのに、時間と共にどんどん思いは薄れてしまって、最後にはなかったことになってしまう。

それを薄情だと思う人もいるかもしれない。
ウソつきだと言われてもしょうがないかもしれない。

大好きだった人から忘れられたり、大切な人にとって自分がどうでもよい存在になることは辛い。

けれど私たちはそうやって過ごしてきたし、これからも大切であるはずのことを忘れて、新しい何かと出会っていく。

卒業しても続く友情なんてひと握りだし、退職する際に「たまには顔を見せろよ」と言われても実際に前の職場に出向くことなんてしない。
初恋の人は忘れられないとよく言うけれど、多くの人は初恋の人ではない大好きな人と結婚して新しい家族を作っていく。

愛する人が亡くなっても私たちは平気で、もしくは平気なふりをしてその先の自分の人生を生きていかなければならない。
だから少し寂しいことだけれども、忘れることは決して悪いことじゃない。

時間が過ぎていくことは、戻れない時間がどんどん増えて、忘れてしまうことがどんどん増えること。
それは怖い気もするけれど、それだけ前に進んでいるという証でもあるのだ。

覚えていないような小さな思い出も、私たちに影響を与えているはずだ。
だから忘れるくらいでちょうどいいのかもしれない。


あなたが毎日を楽しく過ごせるのであれば、誰も私のことを覚えていなくてよい。
と私は心から思ってこの記事を書いているのだけれど、このことでさえ私はすぐに忘れ、
「ワシのこと忘れんといてな!!!!この先も絶対連絡してな!!!!」
と他者には要求するくせに、肝心の私はその人たちのことを平気で忘れるような愚か者であるということは覚えておいてください。