同級生Dさん「まさかあの人があんなことをするなんて思いませんでした」

最近煽り運転の報道を目にすることが多くなった。

その煽り運転を紹介するニュース番組の中でコメンテーターが「普段は温厚な人でも車を運転すると人が変わる人もいますからね~」というような発言をしていた。
その発言がやけに自分の中に残り、私もある特定された状況で普段の自分とは違うような自分に変わることはないかと考えていた。

 

そんな折、ある特定された環境では私の性格が変わることに気付いた。
それは「電車の中」である。

空いている電車であれば問題ない。私が普段の自分とは違う自分に豹変する状況は「一定以上人がいる電車」である。
それはつまり全員が座れず立つ人もいるような状況だ。

分かりやすい例であれば、優先座席に何の不自由もない若者が座っていて、高齢の方や妊婦の方がやむをえず立っている状況。ただ私はこのような優先座席に本来座るべき人が座れない状況に関してはそこまで腹を立てはしない。
高齢の方や妊婦の方が電車に乗る際には、冷たいようだが座れずに立つリスクは予想しておかなければならない、また譲ってもらって当たり前と考えるのは違うと個人的には考えているからである。
とは言え、みんな高齢の方や妊婦の方、体の不自由な人がいたら率先して席は譲ろうね★いい人アピール

 

私が豹変する状況とは、普通に座れば7人が座れるシートであるはずなのに誰かが足を大きく広げて座っていたり、荷物を座席に置いていたりするために6人しか座れていないような状況だ。
たいてい足を広げているのはハゲ散らかしたジジイだし、荷物を置いているのはアジア圏から来た観光客もしくは気の利かなさそうなババアだ(個人的なただの偏見)
そんな状況を目の前にすると、いつもはあまり怒らないひらちゃんもアグレッシブモードに変身★


ハゲちらかしたジジイを睨みつけ、私も座っていればあてつけのように席の隙間を詰める仕草を大げさにし、持っているカバンをこれでもかというほどに縮こませる。それでも動じないのであれば、何度か咳払いをしたりもする。
ただ私のそんな攻撃が効いたことは一度もない。そんな攻撃が効くような人間であれば、そもそも誰かが立っているのに平気で足を広げたり荷物を置いたりして1.5人分以上のスペースを取ることはしない。

私はそのまま大人しく電車を降りることしかできないのである。

 

普段はあんまり人に対して怒りの感情を抱くことは少ないのだが、電車に乗ると怒りメーターがビンビンに反応するのはどうしてなのか。
大げさかもしれないけれど誰かが得をして、誰かが損をしている状況に対しての私の正義ということにしておこう。いい人アピール★

 

しかし私の正義で誰かが嫌な思いをしていることもあるだろうし、うーん、正義とはいったい何ものなのか。
誰か正義とは何かについて語り合いませんか。