自己分析

最近就活生と思われるスーツ姿を見かけることが多いが、新卒対象の就活はもう始まっているのだろうか。
私は転職活動も含め何度か就活をしている。
人によっては就活が楽しいだとか、特に苦労していないだとか言う人もいるけど私はできることなら今後一生就活はしたくない。
なぜなら就活をするにあたって必ず書類を書く必要があり、その作業があまりに苦痛だからだ。

 

 

就活をする際、「自己分析」をしなさいと言われた。
私ももちろん「自己分析」と言われるものをした、のだろうか。
過去のことを振り返るとともにこれからのことを見据え、自分がどんな人間であるのかを考える。
その分析結果をもとに「自己PR」欄を埋めてきたつもりだ。
しかしその「自己PR」欄に書いた自分というものが本当の自分を表せていたかは甚だ疑問である。

 

 

私は自己PRの中で以下のような内容を書いてきた。

・物事を前向きにとらえ~~~~~
・私は明るく、周りを積極的に巻き込み~~~~
・社交的で自ら~~~~

 

自分のことを前向きで明るく社交的だと思っていた。しかし私はそんな人間ではない。
明るい要素があるにはある。それは身に着ける服飾のみ。
実際にはダークな部分が私の人格の多くを占めている。

 

前向きな人間が「人生 絶望」だなんて検索サイトで入力しないだろう(絶望することなんて何もないのに)。

 

明るい人間が、満員電車に揺られる中で「この電車にいる人の数だけでも愛情や憎悪といった様々な感情があり、その先には結局死がある。更にはこの世界には想像がつかないほどの人がいて、いや、もう亡くなった人も合わせると……。その人たちの思いと存在とは……。」とクラクラすることなどないだろう。いや、明るく見えている人でもこういうことを考えたりするのかもしれないな。なんてそもそも明るい人は考えないのだろうか(無限ループ)

 

 

自己分析をしても、自分のことなんて何一つ分かっていなかった。
むしろ真逆の人間として自分のことを考えていたのだ。

 

また他人に言われて初めて自分の知らない性質に気付かされるのなんてしょっちゅうだ。

・「怒ることがない」や「寒すぎると怒る」
・「人間らしい」や「血が通っていない」や「神様」
いずれも他人が私に対して抱く印象の一例である。
ねぇ、私という人間がますます分からなくなるよ。

 

私は明るい人間なんかではないし、暗い人間でもないのかもしれない。はたまた明るい人間なのかもしれないし、暗い人間なのかもしれない。
もうこの先自己分析なんてしない。私は私だ。それ以上でもそれ以下でもない。
 

 

今後もし自己PR欄を埋めなければならない状況になったときにはこう書こうと思う。

 

 

私は私がどういう人間かは全く分かりませんが、私は私という人間です。
周りからは「寒さに対して怒る人間らしい血の通っていない怒らない神様」と評価をいただいてきました。この強みを活かし、貢献できるよう努めていきたいと考えています。