命の名前

私は名前を大事にしている。

それは自分の名前も人の名前も。

 

 

大学に入学してから驚いたことの一つが、名前の呼び方が急に苗字から下の名に変わったことだ。

私は小学生の頃から割と男女共に友達のことを下で呼ぶこともあったけれど、それでも基本的には苗字やあだ名で呼んでいたし、自分のことを“ようき”と呼ぶ友達は数人だった。

 

それが大学に入る途端“ようき”のオンパレードに、今まで“ひらちゃん”だった私は違和感を抱いたのであった。

 

今でも覚えてる話。

大学一回の頃は一人でいることが多く、一人がかわいそうという思いから話しかけてくるお節介さんがいた。

 

似非友A「なぁなぁ、いっつも一人でおるよな。友達にならん??」

ひらちゃん「(絶句・・・)」

A「名前なんていうん?」

ひら「ひらしまようき」

A「じゃあようきって呼b」

ひら「ひらちゃんで!!!!!!!!!!!!!!!」

 

ってくらい気安く下の名前呼ぶなって思ってた(笑)

今あの時の自分の気持ちを思い返すと、下の名前で呼ばれるのが嫌だったわけではなくて、関係性も成り立ってない人に下の名前で呼ばれることが嫌だったんだと思う。

下の名前で呼ぶ=本当の友達

みたいな考えがどこかにあったんだろうな。

 

 

けれど今の私は、初対面の人にもいきなり下の名前で呼ぶこともしょっちゅうだ。

それは、昔の自分のように誰かを不快にさせてるかもしれない。

 

それでも下の名前で呼ぶのは、呼びたいと思うのは、名前は親が一生懸命考えてくれた命の名前だと考えるようになったから。

名前はその人をその人たらしめるもの。

誰もがその名前のように生きていくんじゃないのかな。

 

 

「その名前、あなたっぽくないよね」とはじめは感じていても、その人と付き合っていくなかで「あなたの名前はやっぱりこれしかないね」って思うようになる。

名前と人とは繋がっていて、名前から影響される力ってきっと大きい。

だからそんな思いのこもった、その人だけの名前を大事にしたいし口にしたいのである。

 

 

“洋貴”と書いて“ようき”

初めて私の名前を見た人が“ようき”と読んだことは今までに一度もない。

私の両親はかなり真面目で、正直面白みがあるとは言えない。

そんな真面目な親が、“洋貴”を“ひろたか”や“ひろき”ではなく、“ようき”と名付けたことが信じられず、また本当に感謝している。

 

私は洋貴という名を死ぬまで、いや死んでも大事にしようと思う。

そして名前負けしない、“ようき”な“ようき”として日々過ごそうと思う。

 

 

※よう‐き【妖気】

あやしい気配。何か不吉なことが起こりそうな雰囲気。

の“ようき”じゃないよね?お父さん、お母さん?